目標は”欲求”

  1. 大学生の今、何をやるべきかわからなかった
  2. 将来の自分がどうなりたいかを決めた。
  3. 長期的な目標が決まったので、それに向けてやるべきことを決めた。
  4. やるべきことを逐一やっていった。
  5. 結果的に目標の半分ぐらいは到達した。
  6. しかし、世の中、自身の価値観などが変わるにつれて目標も変化する
  7. 例えば、バイクに乗りたいとか将棋で初段になりたいとか
  8. その都度、目標を変えていたらやるべきことがコロコロ変化する
  9. コロコロ変化するから結局何も成し遂げられなくなってしまう
  10. そうならないために、長期の目標は一般化すべき。

目標を一般化すると目標は”欲求”と言い換えることができる。

欲求には主に2つのモデルがあるからそれに当てはめる。

 

一つ目はアブラハムマズローの欲求ピラミッド(1943年)

二つ目はダグラス•ケンリックの欲求ピラミッド(2011年)

 

この2つのモデルに目標を当てはめることで、何から成し遂げるべきか、どこまではお金で解決できるか、今自分に満ち足りていないものは何かなどが容易にわかる。

 

上記の2つを主観でまとめ、満たすべき欲求を順番に記述する。

  1. 生理的欲求 三大欲求と飲欲、呼吸欲など
  2. 自己防衛欲求 自分を安全な場所に置く欲、家、衣服
  3. 所属欲求 何かしらの団体に所属したがる欲
  4. 愛、配偶者の欲求 恋人、配偶者から愛を求める
  5. 承認欲求 他人に認めて欲しくなる
  6. 自己実現欲求、子どもの育成欲求 自分が成し遂げたいこと、子どもを育てること

根本的な考えとして、自分の人生のうちで他人のことを考えると無駄と考えている。

例えば、最近であれば渡部とかいう芸能人が不倫?したが、正直どうでも良い。

渡部のことを少しでも考えてしまったら、それは僕の人生(80年と仮定する)の内の何%かを渡部で埋めることになる。僕の人生なのに僕や僕にとって大切な人ではなくどうでも良い他人に時間を取られることは決してあってはならぬ。

それが、誰かに認められたい、誰かが憎い、誰かに嫉妬するなど、その誰かが自分にとってどうでもいい人ならば、マジで時間の無駄。その時間を自分のために使えよと思う。

一応書いておくがこれは僕個人が勝手に思うただの持論。「あー、こんな考え方する人もいるんだなー」程度で捉えて貰えば良いと思う。

それでだ。承認欲求を誰しも構わず求めるのではなくて、自分にとって大切な人に認めて貰えば良いと思う。でも正直に書くと、他人でも認めてもらえなかったら嫌な気持ちになる。

この気持ちに正直であるべきか、この気持ち自体が間違っているのか、マジでわからない。

 

次回は承認欲求に素直な奴隷であるべきか、人間の本能に逆らうべきか。

時と場合にもよって変わると思うから、そこを深く考察する。